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2010年7月

留用された日本人「母の場合」7

吃完了嗎(食事はおすみになりましたか?)

 子供の頃、両親から中国のことをさまざま聞いていた。母からは人民解放軍の中での食事に関することをよく聞いた。戦争中なので贅沢な食事はしていないが、それでも日本の軍隊と全く違ったありようである。

 食べる事に関して、中国はことのほか大切にする。人間食事をしなければ生きられないので、当たり前と言えば当たり前だが、中国では「吃完了嗎(ツ・ワンリョ・マー)もう食事はおすみになりましたか?」というのが、あいさつ代わりだという。日本で「良いお天気ですね」というのと同じ感覚で言葉を交わす。

 母が言うには部隊は二日と同じところにいなくて、調理員はいつも鍋など調理道具と食器を持って移動していたと言う。食事は一日に2回だったが「腹いっぱい食べたと」言う。一日2回でもなれたら別に苦にならないそうだ。

 食事は部隊で全員一緒にとることが多いのだが、戦争をやっているので、同じ時間に取れない兵隊もいる。そんなとき調理員は、どんなに時間が遅くなっても、残り物で間に合わしたりせずに、一から暖かい食事を作るそうだ。「あれには感心したなあ・・・」と母は今でも当時のことを回想する。

 

涼み浄瑠璃

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 昨晩、亀岡浄曲会主催の「涼み浄瑠璃」に行ってきました。俳句の季語にもなっている「涼み浄瑠璃」はかつて淡路島各地で夏の風物詩として寺社の境内などで盛んに開かれていました。45年くらい前にはほぼ消滅していたのを5年前から南あわじ市阿万の萬勝寺で復活開催しています。

 当地(南あわじ市阿万上町)は芸能の盛んな土地柄で、昔から芸達者を輩出してきました。大阪の文楽で大成した人も太夫、三味線で幾人もいて、大師山公園入り口の「浄瑠璃街道」に石碑が立っています。

 高校生・社会人トリオPhoto_2

小さいときから、だんじり唄を親しみ、中学、高校でもクラブ活動(郷土芸能部)で鍛えられていますので、かなりの腕前の中・高校生もいます。また浄瑠璃の「さわり教室」に50歳を過ぎてから入り素浄瑠璃の番付で大関になった人など幅広い年齢層の愛好家たちが八つの演目で熱演しました。

三善秀夫・まど香親子

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今年の素浄瑠璃全国大会優勝に輝く、万勝寺のご令嬢と竹本友喜美師匠

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淡路人形芝居フェスティバル

 この二~三日行事が重なってバタバタしております。さきほど「涼み浄瑠璃」を聴きにいって帰ってきたところです。順番から昨日の淡路人形浄瑠璃後継者発表会について書きます。私は昨日、町内会のグランドゴルフに行ってたので、「人形浄瑠璃」には行ってないのですが、人に頼んで写真は撮ってもらったので掲載します。

 南あわじ市には小・中・高、社会人による人形浄瑠璃のクラブが八つありますが、それらが一堂に集まって演ずるのが淡路人形芝居フェスティバルで、今年で27回目になります。

三原中学校郷土部による「生写朝顔日記」

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淡路人形浄瑠璃青年研究会による「五条橋」

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鬼一法眼三略の巻「五条橋の段」

 夕べ、久しぶりに淡路人形浄瑠璃青年研究会の練習に行ってきました。19日に人形浄瑠璃後継者発表会で演ずる、「五条橋」の稽古を新しいメンバーが中心になってやっています。わたしもかつて牛若丸の主遣い(頭)をしていたのですが長い間稽古をしていないと人形をもつことすら大変です。最近はもっぱら撮影やサポートをしています。

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留用された日本人「母の場合」6

強姦は死刑

 中国では古来「よい鉄は釘にならぬ、よい人間は軍人にならぬ」といって軍人は強盗、ゆすり、たかりと同じように思われていた。清朝末期から中国各地に群雄割拠した軍閥は略奪、強姦やり放題のひどい軍隊だった。国民党の軍隊も大してかわらず、日本軍もそれ以上のひどい軍隊だった。大戦末期中国人にとって解放者として現れたソ連軍も第一線に入ってきたのが囚人部隊だったこともあり、略奪・暴行なんでもありで、日本人のみならず、中国人も被害にあっている。母によると「強姦をされた話や、女を差し出せとか、いわれたのはソ連が入ってきたときだけで八路軍(人民解放軍)にいたときはそんな心配はなにもなかった」という。人民解放軍は人間としてやってはいけない事と、しなければならないことを規則に定めた、それが「三大規律八項注意」だった。しかし規則に定めるだけでは、人間皆守らない。

 父の話によると1946 年夏ごろ人民解放軍にはいったとき「強姦すれば即死刑だ」と言われたという。ただの脅しではなく実際死刑になった兵士もいる。古山秀男著「一日本人の八路軍従軍物語」には強姦をして最初は許されたものの、二回目は戦闘中敵前逃亡をした上、民家に押し入りまたやった男が銃殺刑を受けた話が出てくる。

ついで犯人にたいし、「起訴状の内容および将兵の発言で指摘された事実を認めるかどうか」と念を押す。すると犯人は、こくんと頭をさげてそうした事実を認めた。これを見とどけた政治委員は、すっくと立ち上がり、一段と声をはりあげて、東北民主連軍総司令部および総政治部の「銃殺刑執行に関する命令を」読みあげ、最後に、「立刻当地執行槍決!」(直ちにこの場で銃殺せよ!)と命令を下した。すると、ピストル(モーゼル型)を手にした二人の警備員が、後ろ手にしばりあげられている犯人の片方ずつの腕をぐっと押さえ、「走!」(行け)と押し出し、会場正面左側三十メートルほどのところに掘られていた穴の前まで小走りにかけてゆき「跪下!」(座れ)といって犯人にヒザをつかせると同時に、二人の警備員がそれぞれ犯人の頭を狙ってピストルを発射し、銃殺刑の執行は終了した。中略 このように解放軍は、規律にたいしてはきわめて厳正であり、”罪を憎んで人を憎まず、病をなおして人を救う”という寛大な面をもつと同時にいささかの妥協もなく、はっきりと大衆的にケジメをつけてゆく軍隊だということが、頭の芯に刻みこまれたのはその時である。

 人民解放軍は信賞必罰がハッキリしていた。昨日まで日本軍や国民党・軍閥の軍隊にいたものが一晩で品行方正になるわけが無い。一度は許しても二度目は厳しく罰された。

指揮官の決断 満州とアッツの将軍樋口季一郎

 本日、文春新書の新刊、満州とアッツの将軍樋口季一郎「指揮官の決断」を買ってきました。著者の早川隆氏には昨年6月淡路島に来られたとき、取材を受けたので、発刊を楽しみにしていました。

 樋口の本格的な評伝がでるのは、今回初めてのような気がします。今ざっと斜め読みした程度ですが、よくかけていると思いました。父がよく言っていたのですが「樋口の伯父さんは右翼に人気がある」と・・・20年ぐらい前から樋口の業績が世間に注目されることが多く、父は生前マスコミによく取材を受けたりしていました。その事が報道されると右翼らしき人物から電話がかかってきて「誉め殺し」と言ってよいほど賞賛される。その事自体は親族として決して悪い気がしないのですが、あまり誉められると、ちょっと違うような気がする。そんな複雑な想いを父も持っていたようです。

 「指揮官の決断」のあとがきで著者は次のように書いています。

戦後の樋口の心の中にあったのは、オトポールよりもアッツ島ではなかったかということだ。ユダヤ人救出劇の主役として、時に英雄視される樋口だが、その心の奥底には、決して癒されることのない苦哀が、ずっと静かに沈殿していたのではないか。

樋口はオトポール事件、あるいは占守島の戦闘に関して自らを「善」として誇示することをしなかったが、アッツ島については自身を「悪」と位置づけ、それを一人で抱え込み、英霊にぬかずき、苦悩し続けたように思う。

 将は指揮ひとつで兵を死地に追いやる存在ですので事実を一面的にみて英雄視するだけではその人物を描ききれないものです。樋口の人間的な魅力を正確に書いていると思いました。皆様にも一読お勧めします。

私の中の中国6.私中国人アル⑤

戦勝マンガ「空陸大進軍」

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 日中戦争のころ出版された「空陸大進軍」というマンガを持っている。裏表紙が取れて奥付けが無いので誰が作者か分からないが、表紙にロゴが入っていてTOKIO SHUNKODOと春の字があるので、出版社の東京春江堂だろうか?「南京爆撃はスゴカッタ」と言うセリフが入っているので「支那事変」初期の漫画と思われる。 Save0013_2

 内容は出撃した日本空軍の後を追っかけていった少年飛行士が「支那軍」相手に空に海にはたまた地中に大活躍するSF大活劇と言うものだが、出てくる「支那兵」が弱い、だらしない、マヌケ、あさはか、意志薄弱、低脳・・・日本兵に比べ人間として格段に劣った姿がこれでもか、これでもかと出てくる。Save0021

 Save0022_2  戦争相手国の人間をボロクソに描くのはどこの国でもやる事だが、鬼畜米英と比べると、まるで迫力がない。近藤日出造が描いたルーズベルトやチャーチルは悪魔か妖怪そのものだが、中国の場合「お笑い」なのである。「空陸大進軍」を見ていると現在に至る日本人の中国観が見えてくる。「○○アル、スルヨロシ、ポコペン・・・」この漫画には中国人に対する蔑視、偏見の原点がある。偏見がいったん人間の心にしみこむと何代にもわたって容易に払拭できない。

 Save0018  この漫画で見過ごす事のできない箇所が幾つかあるが、その一つに毒ガスが中国軍によって使われるようすが描かれている。事実をいうと日本は第二次世界大戦で唯一、大規模な毒ガス戦を中国戦線でやった国なのである。

 Save0030  日本軍の毒ガス使用は盧溝橋事件があってすぐ、北平(北京)で毒ガス弾を飛行機から二発投下している。上海戦では頑強に抵抗する蒋介石の中央軍に苦戦するが、毒ガスで強行突破を図る。この時、新聞、雑誌などで中国軍が先に毒ガス戦を始めたごとく宣伝を始める。当時の日本軍であっても国際法違反で人道に反する毒ガスを使うことは引け目を感じていた。そこで敵が先に使うから防御をしていると言う大義名分がいる。そのため謀略的に新聞や雑誌、漫画などマスメディアを動員して一大宣伝をやったのである。その一端が「空陸大進軍」であった。

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神戸新聞のコラムに載った樋口の大伯父さん

 本日の神戸新聞のコラム「正平調」に陸軍中将樋口季一郎のことが載っています。樋口季一郎は私の父方の祖母の兄で、陸軍の高級軍人でしたので親族の間では有名人です。第二次大戦時は北方軍軍司令官としてアッツ・キスカ作戦を指揮し、最後の日ソ戦を占守(しむしゅ)島で勝利した事で右翼にも人気がある軍人です。

 1938年3月、樋口が関東軍で特務機関長をしていたときに、ソ連と満州の国境の町オトポールにナチスの弾圧を逃れてユダヤ人難民が大挙押し寄せてきました。当初、日独防共協定を結んでいた日本はドイツに遠慮して満州帝国に入れなかったのですが、樋口は人道問題だとして、満鉄の松岡洋右総裁と交渉して列車を確保し、ビザ発給を満州帝国に認めさせました。難民たちは無事上海を経由してアメリカに逃れていったのですが。ナチスドイツは怒り心頭で責任者の処罰を要求してきました。関東軍参謀長だった東條英機の前で樋口は「非人道的なドイツの国策に協力すべきではない」と自らの行動の正当性を主張しました。東條英機も正論に了解せざるを得ませんでした。孫の樋口隆一氏によると、戦後樋口はオトポール事件を回想して「あの頃は東條もまだそんなにバカではなかったよ」と笑っていたそうです。

 この功績で戦後イスラエル建国の恩人として「ゴールデンブック」にGENERALU・HIGUCHIの名前が記載されています。

 神戸新聞の「正平調」は「オトポールでの樋口の業績が世間であまり知られていない。うもれている身近な歴史にもっと光を当てよう」と書いている。私は樋口の大伯父さんとは中・高生のときに二度会っています。あいさつ程度しか話をしていませんが、父や伯母からはよく話を聞いているので、エピソードはいろいろ知っています。樋口のことはもっと早く書きたかったのですが、3月末のブログ開設以来、次から次と思いつくまま書き散らしているので、整理がつきませんでした。戦後、樋口は隠遁生活で多くの事を語っていませんが、父や伯母から聞いた身近なことからこのカテゴリーで書いていきます。

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