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神戸新聞のコラムに載った樋口の大伯父さん

 本日の神戸新聞のコラム「正平調」に陸軍中将樋口季一郎のことが載っています。樋口季一郎は私の父方の祖母の兄で、陸軍の高級軍人でしたので親族の間では有名人です。第二次大戦時は北方軍軍司令官としてアッツ・キスカ作戦を指揮し、最後の日ソ戦を占守(しむしゅ)島で勝利した事で右翼にも人気がある軍人です。

 1938年3月、樋口が関東軍で特務機関長をしていたときに、ソ連と満州の国境の町オトポールにナチスの弾圧を逃れてユダヤ人難民が大挙押し寄せてきました。当初、日独防共協定を結んでいた日本はドイツに遠慮して満州帝国に入れなかったのですが、樋口は人道問題だとして、満鉄の松岡洋右総裁と交渉して列車を確保し、ビザ発給を満州帝国に認めさせました。難民たちは無事上海を経由してアメリカに逃れていったのですが。ナチスドイツは怒り心頭で責任者の処罰を要求してきました。関東軍参謀長だった東條英機の前で樋口は「非人道的なドイツの国策に協力すべきではない」と自らの行動の正当性を主張しました。東條英機も正論に了解せざるを得ませんでした。孫の樋口隆一氏によると、戦後樋口はオトポール事件を回想して「あの頃は東條もまだそんなにバカではなかったよ」と笑っていたそうです。

 この功績で戦後イスラエル建国の恩人として「ゴールデンブック」にGENERALU・HIGUCHIの名前が記載されています。

 神戸新聞の「正平調」は「オトポールでの樋口の業績が世間であまり知られていない。うもれている身近な歴史にもっと光を当てよう」と書いている。私は樋口の大伯父さんとは中・高生のときに二度会っています。あいさつ程度しか話をしていませんが、父や伯母からはよく話を聞いているので、エピソードはいろいろ知っています。樋口のことはもっと早く書きたかったのですが、3月末のブログ開設以来、次から次と思いつくまま書き散らしているので、整理がつきませんでした。戦後、樋口は隠遁生活で多くの事を語っていませんが、父や伯母から聞いた身近なことからこのカテゴリーで書いていきます。

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