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呉の勇ちゃん

小さなアルバム

 私が小学校に入学した頃、母が小さなアルバムを買ってきた。それまで写した家族の写真が20枚ぐらいあったので整理し始めた。その中で家族・親族写真とは全く関係が無いと思われるのものが3枚あった。1枚は毛沢東や鄧小平が天安門楼上で写っている写真、2枚目が南アジア系の人達が写っている写真、そして軍服姿の樋口のおじさんの写真である。「このひと誰?」と母に聞くと「偉い人よ」と答える。「樋口季一郎と言って親戚の偉いおじさん」小学一年生に親族関係を詳しく説明するのが面倒だと思ったのか、それ以上答えてくれず、樋口の写真のことはそれっきり忘れてしまった。

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 時が過ぎ私が中学生の頃、祖父が亡くなった。大阪から親戚がやってくるという。昔陸軍中将だった偉い人だという。その時やっと樋口の大伯父さんが、祖母ちよのの兄だという事が分かった。他にも樋口の腹違いの弟で広島県呉に住むゆうちゃんも葬式に来るという。

呉の勇ちゃん

 通称呉の勇ちゃんこと奥浜勇二郎は、樋口季一郎の父久八(きゅうはち)がまつと離婚後再婚した、いま(通称おいまさん)の息子で戦争中は海軍の下士官をしていた。この人は親族の間では「話題の人」でよく父や伯母たちが噂話をしていたのをよく憶えている。「勇ちゃんは勝手な男でな、ごく若いころ結婚して子供もできたが、子が調子悪くて離婚して、逃げるように呉の海軍に志願していった」

 勇二郎は勉強も良くできて優秀だったので海軍に志願して広島に行ったが困窮する母元に寄り付かず、たまに休暇で淡路島に帰ると郷家に入り浸っていたという。勇ちゃんは母親のおいまさんの面倒を全く見なかったので郷家で援助をしていた。それで勇ちゃんは親戚筋で評判がよくない。

 去年亡くなった父方の叔母は生前、親戚が寄ったときなど「勇ちゃんの二度目の嫁さんはがいな自慢タレでよ、まるまる肥えて目が象さんみたいでなあ・・・こ~んな顔して」と両手の親指と人差し指を眼と口にあて外側に引っ張るしぐさをして「カン高い声でネェお父ちゃん、ネェお父ちゃんゆうてなあ、よう勇ちゃんを膝枕にのせて耳そうじをしていたわ」と皆を笑わせた。

初対面の異母兄弟

 祖父の葬儀にきた二人の異母兄弟をどう引き合わせるかが、郷家の課題になった。父に言わせると「勇ちゃんは樋口にとって親父を奪った妾の子やから・・・」といっても狭い家に泊まる二人を紹介せぬわけにはいかない。

 父が二人の間を取り持ち葬式の前に対面することになった。私はこの時現場にはいないで祖父を安置してある離れで留守番をしていた。私は祖父が死んで初めて死体と向き合う経験をした。祖父の息が絶えて往診にきていた医者が臨終を告げた。その後遺体をはなれに移し伯母達が鼻や口に脱脂綿を詰めるのをみた。人間が死ぬと硬直がはじまり、体液が流れ出るのを防ぐための処置だと知った。「お尻にも詰めとかなあかんなあ」という伯母の言葉が妙に生々しく記憶に残っている。

 さて本宅の様子はどうなっていたのか、後年叔母から聞いた話だと父が勇ちゃんを樋口の前に連れて行き紹介した。「勇ちゃんは子供の頃から郷家と昵懇で現在も親戚付き合いをしている」と打ち明けた。樋口は勇ちゃんの前に一歩進み「長い間苦労をかけて・・兄として何もしてやれなくて・・・許してくれ」と堅く手を握った。勇ちゃんは感激のあまり言葉がでず号泣した。昨年亡くなった叔母が生前「勇ちゃんはよう泣くんよ、けどあんときはなかなかよかったよ」としんみり話していたことが思い出される。

Save0005 樋口季一郎と奥浜勇二郎

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