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神戸新聞に日本人元紅衛兵の記事

 10月23日神戸新聞に「元紅衛兵、柿渋を売る」という記事が載っている。日本共産党の書記長だった徳田球一の孫、西沢なぽりが中国の山西省で、渋柿のかきしぶを事業化するため奮闘している。

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 ぬやま・ひろしのペンネームで詩人としても活躍した、西沢なぽりの父西沢隆二(にしざわ・たかじ)も日本共産党の幹部だったが文革の時、中共側に走り除名された。西沢なぽりは父の勧めで14歳の時に北京へ留学したが翌年文化大革命が始まると紅衛兵の学生組織に入り「奪権闘争」をした。「紅衛兵同士の内ゲバも多く、護身用にワルサー拳銃で武装していた」という。当時のなぽりは純粋に毛沢東を信じていたというが、内乱状態になった中国では誰が「革命派」なのか「走資派」なのかわからなくなり政治不信に陥ったようだ。留学後は父隆二が起こした「友好商社」の北京駐在員として「対中ビジネス」の道を歩む。その後2007年まで17年間日本企業のアパレル会社の社長を務めたが、「還暦も近づき、中国のため何か良い仕事ができないか」と考えていたところ、友人から中国でも渋柿が多く取れると言う話を聞き一念発起したという。

 私が西沢なぽりの名前を知ったのは20年前、司馬遼太郎の「ひとびとの跫音」を読んでからである。正岡子規の妹律の養子、正岡忠三郎と彼の旧制高校時代の友人西沢隆二が司馬遼太郎とその作品を縁として、織り成すさまざまな交友が魅力的だった。私がこの本を読むまで西沢隆二に持っていたイメージは、中国に盲従して日本共産党を裏切り脱落していった革命家だった。

 中国の文化大革命が勃発したのは、私が中学2年のときだった。その頃北京放送を時々聞いていたので、放送内容がそれまでの中国版NHK「昼の憩い」から瞬く間に「ゲッペルス的プロパガンダ放送」になっていったのがわかった。番組の間に入るジングルには「東方紅」という毛沢東賛歌が流れ毛沢東語録の解説や「アメリカ帝国主義」や「ソ連修正主義」に反対するスローガンが頻繁に流された。そのあと日本の「佐藤内閣反動派」や「日共宮本修正主義集団」も名指しで批判されるようになった。いつも「毛主席万歳万歳万々歳!」で番組を締めくくる。すさまじいばかりの個人崇拝だった。私は一体隣国で何が起こっているのか、わけがわからないまま深夜の北京から流れる日本語放送に耳を傾けていた。数ヶ月が過ぎ、ますます中国の政治が混乱を極めてくると、父あてに毛沢東思想研究」という冊子や「長州新聞」というタブロイド紙が定期的に送られてきた。「毛沢東思想研究」を発行していたのが、日本共産党を脱党(除名された)した大塚有章や西沢隆二だった。

 父は「中共帰り」だったので誘いを受けていたのだ。毛沢東に心酔していた父は、文化大革命当初「革命をしても特権化した官僚は常に批判せなアカン」と興奮していたようだが、異常な個人崇拝を強めていた中国の体制に疑問を持ったのか、西沢隆二たちの誘いに乗らなかった。日中共産党の関係悪化にともないその影響化にあった、日中友好協会も分裂して、対立が深まり、赤旗 の除名者に対する攻撃も苛烈を極めた。昨日の同士に対する人格そのものを否定する攻撃に父は嫌気が指したのか、日中友好運動から離れ党活動や政治活動もあまりしなくなった。 

 その頃の私は「アカハタ」や「サンケイ」を読み比べる政治的にマセタ中学生だった。両方の新聞は政治主張が全く逆にもかかわらず、中国から特派員が追放され共同歩調をとったように中国批判の急先鋒になった。

 「文革」勃発から1年がたち父のもとには毛沢東思想研究会からのパンフレットや冊子が届かなくなった。父は吹っ切れたように政治から遠のき、商売に励んだ。私は赤旗の「毛沢東一派」に反対する記事を読みながら、深夜北京放送の「宮本修正主義集団」を糾弾する放送も聞いていた。夜更かしばかりするので、昼間は眠たく勉強もろくにせず、中学生生活をダラダラ過ごしていた。西沢隆二らの中国派は四分五裂して、日本の政治に対する影響力を持つことはついに無かった。「赤旗」にもあまり載らなくなり、いつしかその名前も忘れ去られていった。

 私が遅咲きの結婚をした頃、妻の本棚に司馬遼太郎の作品が所狭しと並んでいた。その中で私がまだ読んでいなかった、一風変わった題名の本が「ひとびとの跫音」だった。それまで読んでいた司馬の歴史小説とは違う雰囲気に惹かれて読み進むうち西沢隆二が出てきた。西沢隆二に「出会う」のは20数年ぶりで懐かしかったのだが、およそイデオロギーとは全く無縁と思われていた司馬の作品に「毛沢東主義者」が出てきたのが以外だった。西沢隆二は自分の息子に「なぽり」、娘には「みらの」と名づけたロマンティストだった。妻や子供には自分を「タカジ」と呼ばせた真正平等主義者で彼がなぜ毛沢東に惹かれたのか、少しわかったような気がした。元紅衛兵の西沢なぽりは今の中国を「拝金主義」「民族主義」「思想の欠如」と批判しながらも「共産党はもたないのではないか」と心配している。

 日本人でありながら革命家の血筋ゆえ「文革」に翻弄され、中国に関わりながらも、父や祖父とは全く違った道を歩む西沢なぽりは、日中の「柿橋」になれるのだろうか。 

 

 

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