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尖閣問題を解く鍵は日中平和条約にあり

 5年前小泉首相の靖国神社参拝で中国の反日運動が吹き荒れていた頃、まだ存命だった父に「なぜ中国はあんな無茶なことをやるのだろうか?かえって反感を招くだけじゃないか」と父に尋ねたことがある。父は「まあ小泉があんまり、わけのわからんことをするんで一発バーンとくらわしたれとやったんだろう、靖国参拝をやめたらいっぺんに静かになる」と答えた。親中派の父は率直かつ乱暴な意見を時々言うが、以外とあたるのである。マスコミや評論家が「内政の失敗を外に向けている」とか「江沢民の反日教育の結果である」とか色々言っていたが、父が言っていた「政府の首脳が参拝をやめればいっぺんに静かになる」が結局正しかった。

 今回の尖閣紛争、父が生きていればやはり「バーンとくらわしたれ」と言うだろうか、父は毛沢東の「革命はお茶を飲むことでも無いし、刺繍をしたり、ピクニックに行くことでもない・・・」という言葉がことのほか気に入っていた。14歳の時から銃を持ち日本の侵略戦争の尖兵となりながら、敗戦後中国革命の荒波を経験した父にとって、人権とか自由とかをあまり信じなかったように思う。ファシストを自認していた父は西洋流の民主主義の欺瞞性もわかっていた。「日本人や西洋人から人間扱いされなかった、あのまずしい中国人が人として生きるには暴力で戦うしかなかった」とよく言っていた。1980年代の初め頃、香港回収のため鄧小平がイギリスのサッチャー首相と会談したことがあった。返還をしぶるサッチャーに鄧小平は戦争をやっても取り返すといってサッチャーを威圧した。さすがの鉄の女も鄧小平の剣幕に度肝を抜かれたのか、会議場から帰るとき足元がよろめいて、こけそうになったのがテレビに映ったことがある。尖閣で日本が本気で争うなら中国は戦争もためらわないと思うが日本はその覚悟があるのだろうか。日本人は鬼畜米英で太平洋戦争に突入した経験を忘れてはならない。

 靖国参拝問題のとき私は父の話を聞きながらJANJAN(日本インターネット新聞社」に”引揚者の眼から見た中国の「反日」~小泉首相の靖国神社参拝が嫌われるわけ”を投稿したが、今回の事件の根っこにも日中の歴史認識の差異があると思う。日本人は明治以来の膨張政策(帝国主義)を誇りに思っている。司馬遼太郎の影響もあって日清戦争と日露戦争は栄光の歴史だ思っている日本人は多い。日本が栄光なら攻め込まれた朝鮮・韓国、中国は屈辱の歴史である。

 尖閣諸島が日本固有の領土だと思っているのは日本人だけで最も援護射撃を期待するアメリカも局外中立である。中国の言い分が全く根拠の無いものだったら、国際的にも理解が得られるだろうが、日本が平和的に「無主地の先占の法理」で国土に編入したとは言いがたい。日清戦争が大勝利に終わる見通しが立ってから、1895年1月15日に奪ったという事だ。1895年5月に交換された下関条約の批准書には尖閣諸島割譲が入っていないが、日清戦争に勝てばこそ、日本の領土にできた。

 本当は1945年8月15日にポツダム宣言を日本が受け入れた後、カイロ宣言通りに、台湾・澎湖諸島とともに返せば日本との問題は起きなかったのだろうが(国共間の争いになる)、沖縄とともにアメリカの占領地になった。その後、国共内戦もあって蒋介石国民党政府、その後成立した中華人民共和国政府ともケシ粒のような小さな諸島を積極的に自分の領土とは言わなかった。内戦で言うどころでなかったといったほうがいいだろう。日本にも弱みはあって1895年1月14日の閣議決定は内外に公示されることなく秘密にされた。日本領土編入の根拠の一つである1896年3月5日の※「勅令第一三号」は沖縄県に初めて郡制を導入するというものであるが、そこには尖閣諸島やそれに属する島名も書かれていない。その後も日本の敗戦にいたるまで、尖閣諸島領有の「閣議決定」は一度も公示されることはなかった。内外に知られるようになるのは1952年日本外交文書第23号が出されてからである。沖縄県に命じた領土のしるしである標杭も1969年5月5日まで打たなかった。

 こういう風に書くと中国の言い分を全面的に認めていると思われる人がいるだろうがそうではない。私は武力で奪った土地が全部無効とは思わない。115年も前のことが無効になるなら、中東でのイスラエルとパレスチナとの争いはもとより世界中の領土紛争がもっと顕在化して大混乱になるからだ。

 領土紛争解決には妥協が不可欠である、自国の正義を追及すれば必ず戦争になる。それを避けるため日中両国の知恵が試される。これ以上悪化させないためには、日中平和条約に立ち帰り「紛争の棚上げを」するのが一番だ。「領土問題の棚上げ」とともに「覇権主義反対」の立場を確認すべきである。覇権主義反対の条項は中国が当時対立していたソ連を念頭に入れたと言われるが、日中両国わが身を縛る条文でもある。 

 

※「勅令第一三号」 国立公文書館アジア歴史センター参照

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