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東京のサンタのおじさん

 父が子供の頃の話をしていたとき「昔もサンタのおじさんがおったぞ」と言った。父は突拍子も無いことを言うクセがあるが、戦前昭和も初めのころ、淡路島の田舎にクリスマスの行事があったとは思えなかった。続けて「テンプルちゃんという子役もようはやった」といった。シャーリーテンプルというハリウッドの子役出身の女優がいたことは私も知っているが、父が子供の頃に活躍していたとは知らなかった。アイドルは戦前からいるのだ。

 戦前の日本はアメリカが仮想敵国だったが、太平洋戦争を戦うまでは友好的な雰囲気があったようだ。ハリウッドの映画も上映されており、少なくとも庶民にとって憧れの国であったようだ。満州事変当時の少年倶楽部を見てもルーズベルト大統領は偉人扱いであった。

 父の話ではサンタのおじさんがクリスマスイブにプレゼントを持ってきてくれる話は当時の子供達も知っていて、12月がくると誰それがもらえるそうだなどと噂をして、盛り上がっていたと言う。問題はプレゼントをしてくれるハイカラな親がどれほどいたのかだ。私は祖父の仏頂面を思いだしながら、まさかあの爺さんが・・・とてもサンタのおじさんに結びつかない。昭和30年代私は祖父からお年玉を50円もらっていた憶えがあるが、節分で豆まきをしている爺さんは思い出しても、クリスマスなんか真言宗の郷家の年中行事になかった。

 「東京から静子伯母さんがクリスマスプレゼントにノートとか鉛筆とか文房具をいつも送ってくれた」という。静子伯母さんというのは樋口季一郎の妻のことで、東京の田園調布に住んでいた。樋口は1918年(大正7年)陸軍大学校を卒業して軍のエリートコースを順調に歩んでいた。私の父が小学校に上がる昭和5年ごろは東京警備参謀で陸軍中佐である。給料もかなりの高給をもらっていたと思われる。しかし淡路に住む年老いた母や離婚した姉に仕送りもしていた。父の妹である叔母登代子の話では、甥や姪にも着物や洋服をよく買ってくれたという。父も義勇軍で満州に行くときに外套を買ってもらった。淡路島に住む父やおば達にとって樋口は東京のサンタのおじさんであった。

P1010748 嫌がる娘に無理に着せた父の形見の外套。満州に行くときに持っていった。かなり重い!

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