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関東軍機動2連隊の田中さん

 1月4日に佐賀県の田中さんから電話で年始のごあいさつをいただきました。田中さんは父が関東軍にいたときの戦友で、戦後シベリアに抑留されていました。

 父が機動1連隊で田中さんは機動2連隊でしたが、吉林で武装解除されたときに知り合い、父と行動を共にするようになりました。なぜ一緒にシベリアにつれて行かれなかったかというと、父は足にできた腫瘍をなおすためで、田中さんは図門から先にソ連に入ったという事です。(父はその後脱走してシベリアには行かなかった)

 父の15年戦争1「関東軍の特攻」でも書きましたが、機動連隊というのは関東軍司令部直轄の特殊部隊のことで、父は機動1連隊の重機関銃中隊にいました。大型の挽馬に重機関銃をのせて山の中でも展開できるように訓練を受けていました。これは「坂の上の雲」の秋山好古の戦術を焼きなおしたもので、日露戦争の時は世界最強のコサック騎兵を翻弄したのですが、40年後、戦車相手にまたやるというのは時代錯誤というものでしょう。ノモンハンでソ連の戦車軍団に「元亀天正の装備で」戦いを挑んだといったのはノモンハン生き残りの須見新一郎連隊長でしたが、その教訓を生かせず、大戦末期には日露戦争の戦術でソ連に挑むとは、大本営参謀の退廃振りは底なしだったようです。

 父によれば機動1連隊の岩本という部隊長は部下をいじめる横暴な奴で、8月15日に鏡泊湖でソ連の戦車軍団に特攻攻撃を部下に命じながら、父のいた中隊だけを残してトンズラした卑劣漢でもありました。 父は無鉄砲でいい加減な男でしたが、権力をかさにきて威張る人間を軽蔑していたので、連隊長の所に抗議に行って「お前らのせいで戦争に負けたんやないか、負けた後まで大きな顔をするな!」とぶん殴ったそうです。

 田中さんは律儀でまじめな性格ですが、この連隊長の犠牲者だったようで、昔うちにきたときに、父は恩人でいろいろと世話になったように言っていました。父より2歳上で敗戦時上等兵だと言っていましたので88歳になります。奥さんが寝たきりで介護をしながら暮らしているので中々大変なのですが、電話で「こちらに来る機会があれば是非あそびにおいで」と言っていただきました。以前から私も佐賀県までいってお話をうかがいたいと思っていたので、いつまでも元気でいて欲しいと願っています。

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