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2011年2月

北方領土4島返還の幻想

 2月25日、読売テレビのウエークで「緊急激論”北方領土”が危ない前原外相に生直撃!強引ロシアにどう対抗」のはでな番組見出しに引かれてみました。

 結局ロシアでの外相会談は何の進展もなく、何の対抗措置も取れないことがわかりました。最近の原油価格高騰で、中東にあまり依存せず、ロシア産の原油輸入の増大をはからなければならないことから、菅総理も「許しがたい暴挙」と振り上げた拳の収めどころを失った感じです。

 出演した森本敏氏はメドベージェフ大統領が今後日本とは「領土交渉はしない」と言っているのを「本気かどうかわからない」と言う始末で日本の対米追随者の有識レベルが見透かされます。韓国や中国に投資を呼びかけ、自らインフラ整備に乗り出し、軍備も増強すれば、本気だという事はハッキリしている。

日本政府は国際的に見て全く返る可能性のない国後・択捉の返還を外交の重点にしてきたことを反省する時期。国民も又事実を直視する時期。(繰り返す):(1)ポツダム宣言で日本は「本州、北海道、九州及四国竝ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ」 受諾。本州等の他は「吾等ノ決定スル諸小島」で連合国側が日本の物と言わない限り日本の物ではない。(2)サンフランシスコ条約では千島を放棄。吉田首相はこの会議で国後択捉南千島と位置付け。この時点で日本は国後択捉に関する「権利、権原及び請求権を放棄」(3)日本が放棄した国後択捉がどうなるかは連合国内部の問題。それは米国とソ連(ロシア)の問題。ルーズベルトは千島をあげる条件でソ連の参戦を要請。ルーズベルト、トルーマンは千島をソ連に約束帰属がどうなるかは連合国間の問題。米国はヤルタ会談でソ連の対日参戦を要請。その見返りにルーズベルト北方領土をソ連に渡す約束。米国は戦後国後択捉を有していることに抗議を申し入れていない。国後択捉の南千島は日本固有の領土論はサンフランシスコで認められなかった議論。    孫崎享ツイッターより

 孫崎氏のように事実をきっぱり言う元外交官はいませんね。日本の知識人というのは領土問題になると「売国奴」といわれるのを恐れて何も言わない、勇気が無い。千島列島の帰属問題というのは連合国の問題であって、放棄した日本は当事者では無いというのが、冷徹な現実です。それでもフルシチョフ政権が日本の実力を評価して1956年に鳩山政権と歯舞・色丹2島返還で合意しかけたとき、ダレス米国務長官は、日本は放棄した千島列島をソ連に引き渡す権利をもっていない、そういうことをするなら沖縄を併合すると言って脅かした。

 北方領土5(参考)1956年日ソ交渉で領土を画定しようとした際の米国反応。1956年9月7日「日ソ交渉に対する米国覚書、「日本は「サ」条約で放棄した領土に対する主権を他に引き渡す権利を持っていない。。。かかる行為に対してはおそらく同条約によって与えられた一切の権利を留保と推測北方領土6(参考2):1956年8月19日、重光外相ダレス長官を訪問し、日ソ交渉の経過を説明。ダレス長官は、“日本側がソ連案を受諾(千島列島をソ連の帰属)することは、米国も沖縄の併合を主張しうる立場に立つわけである”と発言。後々これは関係者間でダレスの恫喝と言われる 孫崎享ツイッターより

 アメリカは戦後ソ連と冷戦に入ったので、日ソが仲良くすることを許さなかった。それ以後日本は4島返還を主張するようになる。日本は第二次大戦でソ連が日ソ中立条約を破ったことと、60万関東軍兵士をシベリアに抑留した事で、自分が被害者になったような錯覚をしている。戦後長い間、ソ連は火事場泥棒であると非難し続けた。確かに火事場泥棒であった。シベリア抑留はポツダム宣言違反である。しかし戦前の大日本帝国は良い子ちゃんだったのか。

 第一次大戦で中国のドイツ租借地、青島を攻撃したのは火事場泥棒ではないのか。ロシア革命の時に他の帝国主義諸国と干渉派兵をして、その後4年間もシベリアに居座ったとき領土拡張の野心が無かったのか。蒋介石が江西省の共産党根拠地を攻めて余力が無いとき、満州事変を引き起こしたのは、火事場泥棒ではなかったのか。ヒトラーが独ソ不可侵条約を破ってソ連に侵攻してモスクワも危うしとなったときに、満州に70万の大軍を送り(関特演)極東ソ連軍を牽制したのは、挟み撃ちにするつもりだったのか。ヒトラードイツがフランスを破りビシーかいらい政権ができたとき、北部仏印に進駐したのは火事場泥棒で無かったのか・・・

 北方領土問題というのは対ロシア一国だけの問題だけではなく第2次大戦時の連合国と枢軸国の関係が複雑に絡み合っている。その後米ソ冷戦でアメリカが介入し続ける事によって、北方領土が遠のいたり近づいたりする幻想を日本が持つようになった。海部元首相がインタビューで自分が首相の時に4島が一番近くなったと誇らしげにしゃべっていたが、蜃気楼ではなかったのか。

 戦後アメリカは日本が中国やソ連と仲良くしないように工作し続けてきた。冷戦のときはソ連が攻めてくるといい、現在は中国が攻めてくると脅かしている、そのせいか政党でいえば共産党から自民党、民主党まで領土問題では足並みを揃えて、挙国一致だ。共産党なんか北千島も含めた全千島の返還を要求している。この前「チャンネル桜」を見ていたら水島キャスターが、共産党の全千島要求を誉めているのでビックリしました。「週刊金曜日」で本多勝一もロシアを「侵略者」と罵倒していました。しかし政治レベルで挙国一致でも外交は全く進まない。やはり戦後半世紀以上国民に幻想を振りまいてきた外交当局が間違っていたのではないだろうか。

 番組の最後に、「北方領土がもしロシアのものとなったら」尖閣も、沖縄も取られてしまうと、自衛隊の元幹部である志方俊之氏にアジらせていた。この設問自体、欺瞞的ですね。すでに65年以上ロシアのものになっている現実から目をそらしている。番組では町の市民に北方領土のことを聞いていたが、ほとんどが無関心のようだった。私はこの無関心さが、領土問題に対する国民の声なき批判のように思える。 

元海上保安官が尖閣ビデオ流出で講演

 2月14日時事通信

 沖縄・尖閣諸島沖の漁船衝突のビデオ映像流出事件で、起訴猶予となった一色正春・元海上保安官(44)が14日、東京都内の日本外国特派員協会で講演し、「(映像を秘密にするのが)政府の命令だが、国のため国民のための観点から判断し、今回の行動に及んだ」と述べた。ー中略ー
 会場にいた石原慎太郎都知事が「愛国的な行動に敬意と感謝を表す。退職したのは残念」と持ち上げると、元保安官は「退職は組織のルールを破ったけじめなので後悔していない」。「英雄やヒーローと言われるのは間違い」とも述べた。

 2月14日産経新聞
 一色元保安官は海上保安庁の業務について「日本は国土が狭いが、排他的経済水域は広く、これを守っているのが海上保安庁。当然、国境警備隊の仕事も兼ねている」と説明。

 さらに、日本の現状に関して、「現在、日本はいくつもの領土問題を抱えています。最近はそれに加え、尖閣諸島にもそういう問題をつくろうという動きが出てきている」と指摘した。

 中国は名指しせず、“その国”と表現し、「“その国”は南シナ海で行った方法で日本に侵略を開始したとも受け取れる行動を取り始めた。その一環が、昨年9月に起こったことで、私が11月に流したビデオを見ていただければ分かる」と話した。
 元保安官は、「侵略」という言葉を使っていますので、ビデオの内容は、中国が尖閣を盗りに(不法)行っていることを示しているという認識ですね。「組織のルール(法)を破る」のを承知で国民に知らせたと言っている。それにたいして石原都知事は「愛国的」と持ち上げています。
私はこれまで「尖閣事件」をいろいろ書いてきましたが、180度違う彼らの認識が何故生まれるのか。
 この10数年石原都知事など中国は分裂する、崩壊するといい続けてきました。しかしさまざまな問題があるにしても、北京五輪、上海万博の成功など誰の目にも中国が崩壊する兆しがなくなると、中国が攻めてくると言い出した。歴史的にこの150年余り弱かった中国がやっと強くなってきたのは事実です。
 恐らく小心者の石原などは、強い中国に恐れを抱いている。東京都知事に当選したとき横田基地を日本に取り戻すなどと大法螺を吹いたがすぐ何も言わなくなった。強がりを言う人間ほど、強いものにひれ伏す。もし中国がアメリカをしのぐような国になれば、石原のような人間は真っ先におべっかいを使うようになるのではないか。
 

   孫崎享ツイッターより 

8月、9月保安庁尖閣周辺で外国漁船で退去警告件数は総数514件。513件まで何の事故もなく退去。事件を起こしたのは一隻だけ。だったらこの一隻の行動が特異と判断するのが普通。すでにツイート済みのように10月6件、11月0件、12月2件、これを見て中国事起こす意志 ありとみる?
 私は事実から物事を出発しなければ何も始まらないと思います。「この一隻の行動が特異と判断するのが普通」私は孫崎氏の分析能力を高く評価していますが「特異な行動」は保安庁が拿捕しに行ったからおきたと考えています。
 孫崎氏も中国漁船がぶつけてきたと思っているようですが、尖閣周辺の現状から中国は日本と事をおこすつもりは全く無いと言っています。「尖閣映画」の威力はすごいですね。孫崎氏のような優秀な人でも映像のマジックに騙されるのですから。

神戸新聞の三つの記事

 2月11日(金)、神戸新聞の三面記事の片隅に小さな記事が載っています。

Memo0082  海保が「尖閣衝突」で中国の漁船船長に巡視船の修理費を請求した記事です。もう尖閣事件の事は誰もほとんど言わなくなっていますが、私はしつこくウオッチします。日本の官憲というのは、セコイ。船長個人に請求したというのが芸の細かいところですが、中国政府は即座に拒否したようです。完全にすれ違う事を見越して、日本国内向けの言い訳ですね。船長は支払うわけが無いので、このままほっとくのでしょうか。刑事事件として起訴できないのなら民事上の損害賠償訴訟をおこして争うのが筋ではないのか、証拠のビデオも編集していないものを全部公開して真相を明らかにしたらいいのではないか。

Memo0086_2

 第2面にロシアが北方領土をふくむ極東地域に軍備を増強している記事です。昨年のメドベージェフ大統領による国後島訪問を「許しがたい暴挙」と発言した菅首相をうけて、日本をロシアの脅威と位置づけているようです。前原外相は11日モスクワに行ってラブロフ外相と会談しましたが、領土問題については平行線で何の糸口もつかめなかったようです。なぜロシアは最近になって強硬姿勢を続けているのかといえば、日本の尖閣問題に対する姿勢「尖閣に領土問題は存在しない」と同じ強硬な論理を持ち出しているのです。これは旧ソ連の態度と同じで北方領土問題は尖閣事件のあと完全に振り出しに戻ったようです。日本は中国を敵に回しロシアを敵に回し、アメリカには尻尾を振り続けるも利用されるだけで信頼は得ていない。前原外相のような口先だけで無能な政治家をなぜ日本国民は支持するのでしょうか。

Memo0088 2月12日付け神戸新聞

第7回南あわじ子供伝統芸能発表会

 12日三原公民館で開かれた子供伝統芸能発表会に行ってきました。南あわじ市の九つの団体がだんじり唄、踊り、和太鼓、素浄瑠璃など多彩な演技を披露しました。

P1020238「だんじり唄阿万っ子クラブ」による玉藻前旭袂三段目道春館の段(玉三)

P1020266 稲田南郷土芸能子ども教室による机くづし

P1020281 上町踊り保存会による花おどり

P1020290 上町踊り保存会による毛槍

P1020318 稲田南郷土芸能子ども教室によるきつねおどり

雪の朝

2_p1020219

 2月11日朝起きたら雪が積もっていました。当地では久しぶりの「大雪」で、中3の次女が「山に積もったのを見たのは初めてだ」と嬉しそうにいったので、ちょっと感動してデジカメでパチリ、でも昼過ぎには、ほとんど溶けてしまいました。つかの間の雪国気分でした。

私の中の中国9.狼を食べた話

満州狼

Memo0077 写真集 満蒙開拓青少年義勇軍より 「大興安嶺の狼」

 私が幼い頃、父は中国にいた時の体験談をよく話してくれたが、その中で最も好奇心をくすぐられたのはオオカミの話だった。日本オオカミは明治期に絶滅したと言われているので、日本でオオカミを見ることは動物園以外では無い。オオカミの恐ろしさは子供の頃、童話「赤頭巾ちゃん」や「三匹の子豚」などで知るくらいで、実感に乏しい。女性は年頃になると男がオオカミだという事を経験するが・・・

 「ウォオ~ン ウォオ~ン」父は私と一緒に桶風呂に入っているとき必ずオオカミの遠吠えをしてから満州オオカミの恐ろしい話をした。獰猛な狼は人間の骨まで食べてしまうという。「義勇軍」の訓練所から脱走した隊員で無事に駅までたどり着いたものはいない。平原の中にある訓練所から一番近い鉄道駅でも50キロぐらいあり、そこに着くまでにオオカミにやられるという。父はオオカミにつけられたことがありその時は鉄砲を持っていても、つかわなかったそうだ。一頭しとめても血の匂いで次から次にやってきて、しまいには弾もつきて一巻の終わりになる。

 母は人民解放軍の手術隊にいたとき、オオカミの遠吠えをよく聞いたという。国共内戦では、共産党軍に空軍が無かったので、制空権は国民党軍が握っていた。そのため昼間は爆撃機に攻撃されるので、部隊の移動はいつも夜中だったという。行軍するときは母ともう一人の日本人看護婦がまん中で前後を男性の兵士がサンドイッチにして進んでいった。「行軍をしていて闇夜に聞こえるオオカミの遠吠えほど不気味なものは無い」と母はよく話していた。

 父と同時期に関東軍に入った人に聞いた話によると、兵士がトラックの荷台に乗って移動するとき、山中に入ると要注意で、オオカミが道沿いの木立の中に潜んでいて急に飛び込んでくるという。あるとき飛び込んできた狼に荷台はパニックになった。あれよあれよというまに一人の兵士が咥えられた。オオカミはそのままジャンプして逃げ去った。そんなことがあってからトラックの荷台では常に銃剣を構えて警戒したという。

狼汁

 1952年ごろ私達家族が河南省、信陽にいたときの話である。住んでいる家の近くに共同の井戸があった。冬、井戸の周りは撒けた水が凍ってつるつる滑る。ある朝近所に住んでいる人が水くみに行ったところ井戸の中からバシャバシャ音が聞こえる。覗き込むと一頭のオオカミが必死に登ってはすべり落ち、登ってはまた落ち、もがいている。井戸の内壁についた水が凍って、オオカミの鋭い爪でかき登ろうとしても滑り落ちてしまうのだ。

 近所に日本人が何人か住んでいたので父は協力して、水に落ちたオオカミを捕えた。母は妊娠中で、危険を感じて、遠くで見ていた。どんな風に捕まえたのかよく憶えていないという。父のことだからこういうときは知恵が廻ってうまく捕えたのだろう。オオカミは貴重な蛋白源?で早速料理をしたが、味のほうは「くさくてまずかった。現地の人は、香辛料をつかって上手に料理をするそうだが、日本人の私達は知らないので、ただの狼汁にした」と母はいう。机以外、脚のつくものは何でも食べるといわれる中国人だが。私達日本人も中国では何でも食べたようだ。考えてみると人食いオオカミを食べる人間こそ地球上で一番獰猛な動物なのかも知れない。

北阿万薬王寺の厄除け餅まき

2月4日1時から北阿万薬王寺で厄除け祈祷大祭があって、餅まきにいきました。P1020170 護摩を焚いて厄除け祈祷をします。

P1020167 数え年33歳の女子、42歳の男子、60歳の男女が1500円払って餅まきをします。近所から善男善女がひらいにきます。怒涛のよりですごい砂煙でした、黄砂がやってきたのかと思いました。

P1020144

最近、葬儀会館が増えています

 昨日、友達の母親のお葬式に行ってきました。結婚式に招かれる事はほとんど無いのですが、葬式は一ヵ月か2ヶ月に一回はあります。 当地区でも数年前から会館で葬式をする人がかなり増えてきました。阿万は保守的な土地柄で葬式は家でするのが普通だと思っている人が多いのですが、このところの厳しい寒さを感じると、暑さ、寒さや天候を気にすることなくエアコンのきいた室内でするメリットははかり知れません。5~6年前から葬儀会館が増えてきて南あわじ市で4件あったのが、最近また三原の榎並(えなみ)に5件目ができています。人口わずか51、000人ぐらいですから、多いですね。

 10年くらい前まで葬儀会館は南あわじ市で1件しかありませんでした。「まるわ会館」といって1970年代にできて、もともと結婚式をやっていたのが転じて、葬儀専門会館になってしましました。私が二十代のころ、田舎で結婚式場が珍しく、それまで家でしていた結婚式が、会館やホテルでするようになり戦後のベビーブームの子供が年頃になり需要を伸ばし大いに潤ったようです。それが、「ジミ婚」になりいつしか結婚式にお金を使わなくなり、少子高齢化で亡くなる人が多くなると葬儀会館が増えています。時代の流れですね。

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