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父の15年戦争7.糞尿を舐めるカリスマ教育者

 2006/05/07JANJANに掲載されました記事に構成を少し変えて写真の入れ替えなどしております。

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義勇軍内原訓練所所長加藤完治 満蒙開拓青少年義勇軍写真集より

国策決定

 昭和11年、2.26事件の後成立した広田弘毅内閣は、7大国策を定めるが、8月その1つである「20年間で100万戸・500万人の満州移民」という国をあげての本格的な満州開拓団の移民計画を発表した。この計画は分村・分郷方式といって、恐慌で疲弊した日本の村を半分に分け片方を丸ごと満州にもって行くというやり方で、墓や田畑全部を処分して背水の陣で家族全員を引き連れる例が多く、昭和20年までに300団体以上約22万人が移民した。

 加藤完治は満州移民の必要性を、世界恐慌によって生糸が暴落し破綻した信州の農村を例に「義勇軍」内原訓練所で次のように講演している。

 「信州辺りへ行きますと、八段歩位で、山地なのですから、山の上から耕して木を植えた所迄田を作るというところまでなってしまったのです。狭い面積で余計の収入をあげようとばかりする。それで信州の人は蚕をやり出してとうとう終いには日本一の蚕の国になっちまったのです。今までは米国がどんどん生糸を買って呉れたから宜かったのですが、米国がもう買わんとなると覿面困ってしまう。

 今信州は満州に行くのが一番盛んです。今度ようやく判ったのです。そんなことから信州には麦まきも知らないお百姓が出来たりして信州は蚕ばかり弄くって、一遍で宜いやつを二遍も三遍も弄くって、眼を真っ赤にして、それで何を作っているかというと米国人の褌を作っている。そこで八段歩の地面ぢゃ少ないんだから分村計画をやれ、一戸当り一町六段にする、そうするには信州の農民は半分は外に出ろ、百八十度転向しなければ駄目だ、こういうことになったのです」―満州移住協会・昭和16年発行「農道の歓喜」より

 昭和12年11月3日、日本国民高等学校校長の加藤完治は親友の石黒忠篤(後の農林大臣)ら5人と「満蒙開拓青少年義勇軍編成に関する建白書」をときの第一次近衛文麿内閣に提出した。11月30日「満州に対する青年移民送出に関する件」として閣議決定がなされ、拓務省は予算を追加し議会は議決した。茨城県内原には12万坪の松林を整地し当初1万人を収容できる基礎訓練所が設けられた。所長には加藤完治がなり、これより昭和20年の敗戦まで86530名(内原訓練所送出名簿より)の青少年(満14歳~19歳)が開拓義勇兵として満州の地に送り出された。

 内原では2ヶ月間の基礎訓練があり、その内容は「皇国精神」・「武道」・「農業」で特に天皇を崇拝する「皇国精神」は独特のやまと言葉をつかって神がかり的に行われた。

糞尿をなめるカリスマ教育者

 加藤完治は東京帝国大学農科大学出身の教育者で、「国のもとい(基)は農である」の農本主義を唱える国粋主義者でもあった。金沢の第4高等学校在学中、熱心なクリスチャンとなったが後に愛知県立安城農林学校に教員として勤務していたころ筧克彦(かけい・かつひこ)の説く古神道に傾倒し独自の国家主義的農本思想を深めた。

 大正11年から1年4カ月間のヨーロッパ視察のあと昭和元年、茨城県友部町に創立した、デンマークのフォルケホイスコーレ(国民高等学校)に模した日本国民高等学校の校長として農村子弟の教育に当たっていた。フォルケホイスコーレとはデンマークの農民教育家クリステン・コル(1816~1870)が提唱した三愛精神に基づく高等農業学校でドイツ人ホルマンの著わした「国民高等学校と農民文明」(大正2年1月、那須皓・翻訳・発行)によって日本によく知られるようになった。

 加藤はここでキリスト教に立脚した、三愛精神の理念である、神・隣人・祖国に対する愛をスメラミコト(皇尊)・日本人・皇国日本に置き換えた。また日本の増え続ける人口問題や恐慌で痛んだ農村問題の解決に、大陸に対する植民地政策を主唱するようになる。

 彼の著作「日本農村教育」には次のような記述がある。「内地に於て土地に飢えた農民の、而も二男三男に生れ、土地なき為に生きてゆくことの出来ない農民が、開拓を待つ満蒙の広い天地に行くのは当然すぎる程、当然である。何処でもでも空いた土地に行って開拓するのは当たり前のことであって、シベリアでも満州でも豪州でもどこでもよい。それが為に国と国とが戦争するという場合には、敢えて辞するところではありません。」

 父の話によると加藤は、端正な顔に豊かな鬚をたくわえたカリスマ的風貌をもち、その思想は狂信的とも言える天皇主義者だったという。

 「内原の義勇軍では毎朝、日本体操(ヤマトバタラキ)と言う独特の体操をやらされた。これは古事記の天孫降臨の神話が筋書きで、祝詞などが入っており、動くより止まっている時間のほうが長いという不思議な体操だった。
 朝の礼拝のときも天皇陛下万歳などと言わず、古神道にのっとり、スメラミコト・イヤサカ・イヤサカ・イヤサカと三唱した。数のかけごえは1からヒ・フ・ミ・ヨ・イ・ム・ナ・ヤ・コ・ト、百はモモ、千はチ、万はヨロズという。また加藤完治は柔道や剣道の達人で直心陰流(じきしんかげりゅう)の打ち込みもよくやった」

 加藤は自ら、肥たごを天秤棒で担ぎ先頭に立って農作業の実地指導をした。あるとき新米の義勇兵は加藤先生からじきじき農業の真髄を教えうけた。彼は少年達を前にして今まさに肥えをまいたばかりの畑にしゃがみ、ホヤホヤの土を一掴みするなり、口元にもってゆきペロリとなめた。そして平然として一席ぶった。「下肥(しもごえ)は人糞をそのまま土にまけばよいのではない、一定の温度と時間で熟成しなければならない。そうして完全に熟した糞尿は無害化する。したがって無害化してこそ農作物を育てる栄養肥料となるのである」隊員達はあっけにとられて、互いに顔を見合わせた。

 加藤は農業が、動物・植物・自然・時間などを素材として織り成す関係を、少年達に彼一流のパフォーマンスで理解させようとしたのだろうか。この話は「美談」となってまたたく間に全国の農民に広がった。内原の「義勇軍」の※加藤は「糞尿をなめて肥えの熟成度をはかるらしい!」加藤完治は日本農業界のカリスマとなった。

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内原訓練所での農作業訓練 満蒙開拓青少年義勇軍写真集より

※加藤完治が「糞尿をなめる」という話は農業関係者のあいだでは有名だった。長岡喜春箸の「満蒙開拓青少年義勇軍よもやま物語」にも次のエピソードが載っている。

 ――あるとき、某妃殿下を加藤所長が先導して農場へ案内したときのことである。そのとき、農耕訓練中の訓練生がかつぐ肥桶の列が見学者のそばを通った。強い人糞の臭いに美しい妃殿下は、思わず顔をそむけ、絹のハンカチで鼻をつつまれたという。加藤完治はそれを見るとツカツカと訓練生の列に近づき、彼らのかつぐ肥桶の中に指をつっこみ、ペロリと口でなめた。

 この話は新聞記事にもなったとある。もっとも長岡喜春氏は、加藤がすましている妃殿下をたしなめるため、実際なめたのは肥えにつかった人差し指ではなく隣の中指だったのではないか、東京帝大卒のインテリがそんなことする訳がないと疑問を呈しているのだが……。
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内原訓練所での壮行会。日・満の国旗を掲げている。満蒙開拓青少年義勇軍写真集より

加藤完治(かとう・かんじ)(1884~1967)

東京出身。1911年(明治44年)東京帝国大学・農科大学卒業。農本主義者・教育者・満州(中国東北)開拓移民指導者。東京市本所瓦町(江東区亀戸)の旧平戸藩士の家に長男として生まれる。金沢第4高等学校在学中熱心なクリスチャンとなる。

大学でははじめ工科に入るが、結核療養のため3年間療養した後は農科に変わる。大学卒業間近に不治の病に冒された恋人と最初の結婚をするが、翌年彼女が死亡すると、失意のあまり葬儀の後、山中の農家に泊まりながら甲府に出て、あてもなく信州諏訪を彷徨した。

大学卒業後、内務省地方局に勤務し、帝国農会嘱託として中小農保護政策調査事務にあたる。 1913年(大正2年)山崎延吉のすすめで、愛知県立安城農林学校に教員として勤務。このころ筧克彦(かけい・かつひこ)の説く古神道に傾倒する。1915年(大正4年)にはデンマークのフォルケホイスコーレ(国民高等学校)に習い新設された山形県立自治講習所の所長になる。 1922年(大正11年)から1年4カ月間のヨーロッパ視察後、友人石黒忠篤(いしぐろ・ただあつ)のすすめで、1926年(昭和元年)に茨城県友部町宍戸に日本国民高等学校を創立し、校長となって農民子弟教育にあたった。

満州事変がはじまると、関東軍の東宮鉄男(とうみや・かねお)と満州移民をすすめ、満蒙開拓青少年義勇軍の設立にかかわり、1937年(昭和12年)に茨城県内原へ移転した日本国民高等学校に隣接して、1938年(昭和13年)満蒙開拓青少年義勇軍訓練所を開設。1939年(昭和14年)同訓練所の所長となる。

第2次世界大戦後、公職追放をうけ、1946年(昭和21年)に福島県の甲子高原(かしこうげん)に入植し、白河報徳開拓農業協同組合長となった。1952年(昭和28年)に追放解除されると翌年、日本高等国民学校(日本国民高等学校を改称)の校長に復帰し、のち名誉校長になる。

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神宮外苑での分列行進 満蒙開拓青少年義勇軍写真集より

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