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黒電話にさようなら

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 とうとうわが家の黒電話が退役となり、オークションで落札した新しいデジタルフォンに付け替えました。仕事用の電話は早くからホームテレフォンに変えていたのですが、家庭用は愛着がある上、かけることが少ないのでこれまで40年以上旧式を使ってきました。
まだまだ使えるのですが、高齢の母が使うとき電話のある居間まで、移動に不自由で、子機のついたのが、必要となりヤフーで落札しました。少し型遅れですが、ちょっと見たとこ新品並みで子機2台付き4900円はラッキーでした。
憧れのダイヤル式電話
 私が高校生時代、電話はダイヤル式にもなっていなくて、電話機にハンドルがついていてグルグル回し、交換を呼び出しつないでもらうという、手間のかかるものでした。私は8キロ先にある県立高校に自転車で通っていましたが、そこの市(いち)地区が旧三原郡ではじめてダイヤル式になり、大変羨ましく思ったものです。なぜかというと、そのころラジオは、電リク(電話リクエスト)などはやっていて、私は放送局と聴衆を電話で結ぶ参加型の番組のファンでした。しかしその番組に電話するには最低限ダイヤル式でないと全く相手にされないので、自分の地区がダイヤル式になるというのは悲願でした。
当時の毎日放送で、若手人気アナウンサーだった角淳一が司会する番組に、聴衆が電話で15秒ほど好き勝手な事をしゃべり、何も編集されず、そのまま放送に流れるコーナーがありました。丁度バイクの免許書を取ったばかりの年末時分、暗くなってから、私は10円玉をたっぷりポケットに入れ母のバイクを借り、時速60キロ平均で三原まですっ飛ばし28号線の市信号交差点にあった電話ボックスに入りました。早めに入ったので番組コーナーの時間が待ちどうしかったこと。時計を見計らって目当てのコーナーに電話をかけると話中で出ません。続けて5~6回かけるうちにつながり放送局のピーという信号音が流れました。もう夢中で・・・いまじゃ何を喋ったのか覚えていないのですが、40年以上前になります。その後2年ぐらいして私の住む阿万局もダイヤル式になったのですが、大阪に就職していた私は真新しい黒電話を使うことができませんでした。古ぼけた黒電話をしまいながら思い出しました。

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