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父の15年戦争16.狼になった義勇隊員

この記事は2007年9月18日JANJANに掲載されたのを一部訂正、加筆、写真の入れ替えなどしております。

「わしなんか義勇軍時代あらゆる悪いことをしてきた」父が突然こんなことを言ったのは亡くなる1年半ほど前だった。

下克上
「わしなんか義勇軍時代あらゆる悪いことをしてきた」。父が突然こんなことを言ったのは亡くなる1年半ほど前だった。その頃、若い時分に患った結核の後遺症で肺のあたりに水がたまり、入退院を繰り返していた。高齢で手術も出来ず、これといった治療法もないので、体力回復のため、しっかり栄養をとることが残された道だった。食事のメニューには気を使い、入院先の病院では栄養士さんにかなりうるさく言っていた。それにもかかわらず、ドンドン減っていく体重に、これまで数々の病魔を克服してきた父もちょっと弱気になっていた。

 私は棺桶に片足突っ込んでいるこの期に及んでそんなこといわれても……と思いつつ話を聞いた。父はおよそ反省とか後悔とかいう文字とは無縁な人生を送ってきたと思われる。失敗や都合の悪いことはすぐ忘れて次の事を考えるという、よく言えば前向きで、いい加減な性格だが、このときちょっと思いつめた表情で、若気の至りを告白した。

 父は昔からおしゃべりで私が子供の頃、訪ねてきた友達や近所の酔っ払いに満州時代の「武勇伝」を講釈師のように披露していたが、其の中でよく憶えているのは脱走劇だった。敗戦後捕虜になりソ連の軍用列車でシベリアに送られる途中、黒竜江を渡って脱走したとか、中国八路軍から馬で脱走したことなど、繰り返し酒の肴にしていたが、「北安の監獄に入れられた……」と言っていたことも私の記憶の奥に引っかかっていた。

 昭和14年頃北安省北安県の鉄道自警村・満鉄二井(にせい)訓練所で一部の訓練生がおこした叛乱事件(父の15年戦争11.叛乱参照)以来、訓練所の所長や幹部たちはしだいに訓練生に対する統制力を失っていった。父によると「各小隊の1割ぐらいは好き勝手なことをして幹部の命令を聞かなくなっていた」という。注意や処罰をされなかったのかと聞くと「なにしろその頃になるとわしらは武器を自在に使えるようになっていたので下手に注意をするとえらいことになる」という。

 育ち盛り、反抗期、一般社会から隔絶された特殊な環境、そのなかで300人の青少年を引っ張って行くのであるから、幹部の苦労は並大抵のものではなかった。 (中略) ところが、われわれが知る限りにおいて、これらの大多数の中隊長、または幹部は終戦以前の段階において例外なく脱落した。義勇軍の将来、少年たちの指導に見切りをつけて帰国するもの、他に転職するものが相次いだ。発疹チブスの少年たちを不眠不休で看護し続け、ついに自らも発病して死んでいった中隊長もいたが、多くの幹部は、あまりにも裏切られた期待の大きさに絶望して、くしの歯が抜けるように、訓練所や団から去って行ったものである。
 また、少年たちからリンチを受けて、半死半生の目に合わされた幹部も数多くいた。ノイローゼになって自殺した幹部の話も耳にした。少年たちの指導が如何に至難なものであったか。そして幹部の力量がどれだけ大きなものを必要としたか。これは、当時の事情を知るもの以外には、どうしても説明の付かないことである―昭和43年7月1日発行ドキュメントああ清渓(ある満州開拓少年義勇軍の記録)より

 2年前五族協和の夢を追って日本から来た少年たちは、理想とは裏腹の厳しい環境の中、大興安嶺の狼に成長していた。当時下克上という言葉は中央の参謀本部や政府の命令を聞かず、戦火を拡大した関東軍の少壮軍人たちの行動をさしたものだが、その関東軍支配下にあった青少年義勇軍もまた下克上の風潮が広がっていた。
P1030304 昭和13年2月1日発行「拓け満蒙」より

山林保護税
 狼たちは最初空腹に耐えかね、訓練所の倉庫から食糧をちょろまかした。次に周辺の中国人部落の牛をつぶして食べたりするようになった。そのうち大手を振って訓練所の外に跋扈しはじめた。街に遊びに行くには満鉄に乗るのだが切符なんか買わない。「カーブの所で列車は必ずスピードを落とすので、駅の手前の目ぼしい地点を見つけ、飛んで乗り降りした。満鉄で切符を買って乗ったことなんか1度もない」という。

 街の百貨店には集団で押しかけた。仲間同士が喧嘩をはじめ騒ぎたてる。もちろん狂言で、その隙に他のものが店の商品を南京袋に押し込み逃げる。商品は中国人部落に行き市価より安くさばいた。狼たちはしだいに大胆になり行動はエスカレートしていった。

 父の友人の今口氏は忘れられない思い出があるという。

 「確か昭和16年の正月に私は淡路島に帰省していたが、2月に訓練所に戻ってきた。其の日が11日の建国記念日だったので今でもよく覚えている。戻ってくると郷と山鼻が宿舎にいないではないか……なんと監獄にぶち込まれているという。それで差し入れをもっていった」

 何をしでかしたのか……。
P1030310 興安嶺の針葉樹林 新知社・昭和8年発行「図解満洲産業大系第二巻農業篇下巻」より)

 父の話によると、北満の冬は厳しい。当然住居には暖房がなくては生きてゆけないので、冬場に大量の燃料を確保しなければならない。そのころ満州国政府は山林保護の名目で住民に山の木を切 るのを禁止していた。貧しい中国人は日本人のように高価な石炭なんか買うことが出来ない。だが生きるため背にハラは変えられないので法令違反を承知でみんな山に入って木を切って薪にしていた。

 「そこに目をつけた。わしと山鼻は山の入り口で待ち構えていて、山林保護税というものをでっち上げて山に入る中国人たちから徴収した」

 17~18歳の若造が2人ぐらいで、いきなり簡単に金をとれるのだろうか。「わしらは騎兵銃を肩にかけていたので、中国人たちは逆らわなかった。紙幣が南京袋にいっぱいたまったところで、悠々と引き揚げ、2人で街の餃子館に行き一杯やっていた。ところが、そうは問屋がおろさなかった。義勇隊がおかしな事をしていると通報されて憲兵隊に踏み込まれた。散々ぶちのめされ、荒縄で全身グルグル巻きにされ、しょっ引かれた」

 裁判にかけられなかったのかと聞くと「日本人には甘かったのか裁判沙汰にはならなかった。そんなに長く拘留されなかったように記憶している。監獄から出る前に県の副知事に会わされ説教された」

 かいらい国家満州帝国では行政機関のトップは中国人がなっていたが、次長や顧問は日本人の官吏を配置しコントロールした。県知事の中国人も飾りで、日本人の副知事が実権を握っていた。「その副知事は中国人民衆の憎しみを一身に受けて、敗戦の混乱時暴徒に襲われ、たたき殺された。この話はうちの近所の先輩の坂本さんから戦後引き揚げてきたとき聞いた。坂本さんは満州では特務機関に勤めていたので、敗戦後の日本人の悲惨な出来事を良く知っていた」
 
 父は義勇軍時代にやっていたことの7割は内地では人に言えない恥ずかしい事だと言った。「人殺しはせなんだが、ずいぶんひどいことをしていた」と普段の父には似つかわしくない、神妙な口調で話し終えた。
P1030308_2 材木を運ぶ義勇隊員 昭和12年3月1日発行「拓け満蒙」より
P1030309 日本人開拓団には木材事業が許されていた 新知社・昭和8年発行「図解満洲産業大系第二巻農業篇下巻」より)

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コメント

叔父の体験記を執筆中ですが、義勇軍の小訓練所に拓友誌に「女流作家 相馬幸子」が慰問に来てくれた旨記録がありますが「「女流作家 相馬幸子」の詳細をご存知でしょうか??

田中邦夫様
昔、日活の女優に相馬幸子という人がいたように覚えていますが、女流作家は知りません。

DVDで検索すると
日活映画作品に「銀座二十四帖.」「わが町」「絶唱」などがヒットしました。この相馬幸子でしょうかね?

http://www.hmv.co.jp/artist_Movie_000000000043933/item_%E9%8A%80%E5%BA%A7%E4%BA%8C%E5%8D%81%E5%9B%9B%E5%B8%96_4993781

日活の前は大映にもいてたみたいですね。脇役としてかなり有名な映画に数多く出ていますが、年代的に、私の父より一世代以上で、戦前はなにをしていたのか、ネットで調べてもちょっとわかりかねますね。女流作家とどう結びつくのか?戦前ですと吉屋信子、林芙美子、宮本百合子は有名ですが、そこまでいかなくて埋もれてしまったのか、それで戦後は女優の道に入ったのか?

おはようごいす。
色々情報提供ありがとうございます。
山梨の田舎者が、ご教示の以外の女流作家を知る由もないと思います。
日活のHPに質問コーナーがありましたので、ここに問い合わせました。
結果はご報告します。
ところで御尊父の厚生省の資料は入手できましたか?

個人の軍歴などを開示する場合、ややこしくて、戸籍謄本や住民票など、私との関係を証明する、書類3通、他をそろえて3日ほど前に送りました。軍歴のほかに、舞鶴に引き揚げてきたときの、聞き取り調査などわかれば、知らせてほしいと要望しています。昭和28年という朝鮮戦争が終わったばかりの国際情勢など反映した聞き書きがあればよいのですが。また詳しいことがわかれば、書きます。

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