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父の15年戦争戦後編(5)風雲急を告げる満州

戦後国民党軍と八路軍が内戦に突入したとき、国民党軍は旧日本軍の支那派遣軍100万人の武器弾薬をほとんど接収していた。その時、正規軍は430万に達し、その中でもビルマで日本軍をさんざん翻弄した、新六軍はアメリカ製の最新兵器を装備した、強力な軍で、蒋介石は自信満々であった。一方の八路軍は正規軍が国民党軍の2割程度、民兵を入れても国民党軍の半分ぐらいの軍勢で、銃は旧式、型もバラバラで、圧倒的に劣勢であった。

父に生前、圧倒的に劣勢であった八路軍がなぜ国民党軍に勝てたのか聞いたことがある。また武器はどのように調達したのか、兵站はどうだったのか。

「八路軍というのは、武器弾薬は原則として敵から奪って戦争をしていた。自分で大きな兵器工場を持っていないので、ロンドンやニューヨークから武器を持ってくると言われていた。確かに銃は南北戦争で使われた物どころか、アメリカ独立戦争時代の物がいっぱいあった」

アメリカは蒋介石に旧式の武器も、在庫一掃のバーゲンセールのように渡していた。

日本がポツダム宣言を受諾したとき、毛沢東も蒋介石も満州の戦略的な重要性を認識していた。国民党の主力、中央軍は中国の南西部に引っ込んでいたので遠く満州までの移動はアメリカ軍の輸送に頼った。

対する八路軍は日本軍占領地で果敢なゲリラ戦を展開していたので、満州に近い華北や山東の部隊を十数万いち早く満州に進出できた。

日本降伏後、満州を占領するソ連軍は国民党政府と結んだ中ソ条約の関係から八路軍が公然と活動することを禁じた、八路軍は反発したが、圧倒的な軍事力で満州を制覇したソ連軍に逆らうことはできず、忍耐強く対処し、その時の情勢で、制服も脱ぎ、名称も八路軍から東北人民自治軍、東北民主聯軍、東北野戦軍、東北解放軍、人民解放軍・第四野戦軍と目まぐるしく変えていった。

このころ毛沢東率いる八路軍は兄貴と頼んでいたソ連があてにならないことを知り、苦しい立場に立っていたが、柔軟な戦略で満州制覇の足掛かりを確保していった。重慶会談で和平協定は結んだものの、あちこちで小競り合いが続き、国民党と対決することは必至で、幹部たちは軍の拡大を目指し急速に人材をオルグした。

1946年5月ごろ父は病状を回復し、日本へ帰る手続きをしかけたのだが、ある夫婦の身代わりで満州に残ることになった。その場所は不明だが八路軍が支配していた地域で、ある中国人が接触してきた。

注:毛沢東率いる八路軍が最終的に人民解放軍と名称を変えるのは1947年頃だがこのブログでは時期にかかわらず特別の場合を除き共産党軍を八路軍の名称で統一します。

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