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平瀬さん(2)

細胞

昭和30年代までうちの家族4人は父の実家の離れの6畳一間で暮らしていた。従ってお客さんがきても、プライベートもなにもあったものじゃなく、私は漫画など読みながら、近くで父たちが話すのを、たいして意識することもなく、きいていた。

父と平瀬さんが話しているのを近くで聞いていると、サイボウという言葉が耳についた。後で母に聞くと体のいちばん小さい単位のことを言うらしいが、小学低学年の私はよく分からなかった。のちに細胞は支部に変わり、理解できるようになったが、周りには父以外に細胞らしき人は一人もいなかった。当時公然と共産党を名乗って活動をしていたのは阿万では父しかいなかった。

続く

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