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2017年3月

忠ならんと欲すれば孝ならず

孝ならんと欲すれば忠ならず

森友事件の件で、稲田防衛大臣が国会答弁で教育勅語の精神をを評価する発言を行った。戦前の大日本帝国を美化する人たちは、親孝行や兄弟仲良くするとか夫婦和合というのは良いことでその精神は学ぶべきということだと思います。私もというか現在の日本人でこれを否定する人はまれでしょう。儒教に影響された「特定三国・日中韓」の国民もこれを否定する人は少ないでしょう。

父が生前伯母たちと酒席でよく言っていたのは「忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならずなんてよう言うた、けど両立しない」ということです。稲田防衛大臣は「いいとこどりで」現実に合っていない妄想をしゃべっているに過ぎない。私の両親は戦前の教育で忠君愛国を徹底的に仕込まれそのおまけで「親孝行や兄弟仲よく、夫婦和合して」を教えられたのですが、最後は天皇陛下(忠君)のため死ぬのが最高の道徳だった。父はソ連軍の戦車に飛び込むはずだったし、母は青酸カリを飲んで息絶えるはずだっだ。そうなれば逆縁でこれほどの親不孝はなかった。孝行は忠君に従属されていた。

戦前修身の時間で楠木正成・正行親子の行動は「忠孝」を矛盾なく統一した理想として徹底的に国民に教え込まれたのは、教育勅語を実践するうえでの都合の良い神話だったからです。

父は「もう結果の出たことを蒸し返すのは時代錯誤」とよく言っていました。

時代錯誤の幼稚園や小学校でどんな人材が育つのでしょうか。こんなところで自分の子供をl教育したい親はいますか?

平瀬さん(3)

ロボット三等兵

平瀬さんが我が家を訪ねてきても、たいてい父はいなかった。父が帰ってくる間、延々と待ち続ける平瀬さん。当時の6畳一間のわが家ではテレビもなければラジオもない、財産らしきものといえば真新しい洋服箪笥がでんと鎮座しているだけ。私は、いつも父を待ち続ける平瀬さんが気の毒で、私の愛読雑誌少年クラブをネタに話し相手になった。というより遊んでもらっていた。

昭和30年代前半は子供むけ雑誌も月刊がまだまだ全盛で、少年クラブ、少年画報、冒険王、おもしろクラブなどが、少年たちの夢をかき立てていた。その中で父も戦前読んでいた、少年クラブは年一回、正月特大号だけ私は買ってもらえた。それ以外の月は貸本屋で借りるほかなかった。そこで連載されていた、ロボット三等兵は私の一番のお気に入りだった。舞台は支那事変から始まり、太平洋戦争で終わる。私は戦争というものをこの漫画で初めて知った。

軍隊の階級とか、部隊の簡単な編成はいつも読むうちになんとなくわかるようになり、5年生ぐらいになると、東京の大学に通っていた年長の従兄弟が持っていた「丸」というバカ高い軍事雑誌をコソっと読むようになっていた。

話を平瀬さんに戻すと、私は平瀬さんが描くロボット三等兵の似顔絵が大好きで、いつも頼んで描いてもらっていた。今思い出すとこのギャグ漫画はよくできていて、前谷惟光自身が経験したと思われる帝国軍隊の理不尽さが子供でも分かるようにおかしく描いてある。たとえばインパール作戦を指揮した牟田口司令官なんて子供心にひどい指揮官だと思えたし、日本の軍隊が食糧をろくに確保せず戦争をしていたのもよくわかった。

今でも覚えている話がある。連隊長がトンカツを食べたいとロボット三等兵に命令する。そんな材料はないので革靴の底を柔らかくなるまでグツグツ煮てそれを衣をつけてあげたのを連隊長に出すという筋書きで連隊長は美味そうに揚がったとんかつを一口食べて・・・ 

その漫画に出ていたとんかつが、それはそれはおいしそうで、母にトンカツを食べたいと言うと、「そんな高い材料買う金がない」と却下。それなら自分で作るからと、いらない革靴をもらって漫画と同じように、電気コンロに鍋をかけ革靴を切ったのをトントン叩いて柔らかく?したのを入れてグツグツ煮た。

母はあきれていたが、まあやりたいようにさせてくれ、それでいくら煮てもやわらかくならないので、ようやく私はあきらめました。ちなみに私が初めてトンカツを食べることができたのは中学生ぐらいの時で、その頃父は肉の商売をやるようになっていた。

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