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2017年4月

中学校の武道に銃剣道を加える

3月31日、文部科学省は中学の武道に銃剣道を加えると発表した。銃剣道とは戦前、銃剣術と呼ばれ、軍事教練の必須科目だった。

突き主体の攻撃で相手の喉と左胸を狙う完全な戦闘技術である。

実戦で旧日本軍は、38年式歩兵銃の先に、通称ゴボウ剣と呼ばれる短剣を装着して突撃を敢行した。

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私の父は昭和13年、14歳の時「義勇軍」に志願して満州に行った。訓練所では開拓農業の傍ら激しい軍事訓練が施された。

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特に、青年学校法により訓練所内に、青年学校が併設されてからの軍事教練は、徴兵検査までに必修時間受講が義務付けられた。

Dsc03046_2写真は家の光協会発行 満蒙開拓青少年義勇軍写真集より

白兵突撃主義

日露戦争で、弾薬不足に悩んだ陸軍が依拠したのは歩兵による白兵主義(銃剣突撃)だった。第一次世界大戦で欧米列強が総力戦、物量戦を戦いぬき兵器も格段の進歩を遂げたことに、軍首脳は驚愕したが、資源のない日本はそんな贅沢な戦いはモッタイナイと、軍の近代化は限定的にとどまり、機械化や装備の劣勢を精神力で補おうとした。

1909年に改定された歩兵操典では「歩兵は戦闘の主兵にして、戦闘に最終の決を与うるものなり」と歩兵中心主義が打ち出され、「戦闘に最終の決を与うるものは銃剣突撃とす」と白兵主義が前に出た。さらに忠君愛国の至誠をもつ攻撃精神あれば兵力が少なくとも勝てると精神力を強調した。

中国人刺突訓練

父が関東軍に入隊したのは昭和20年5月だった。初年兵教育の仕上げに刺突訓練が行われた。その時生身の中国人が立ち木や杭に縛られ「肝試し」が行われたという。戦前軍国主義の時代とはいえ、戦場に行き、普通の農民や市民が人殺しを簡単にできない。それをさせるには「藁人形ではなく生身の人間で練習するのが有効だ」と「老河口作戦」で有名な藤田茂騎兵第四旅団長も言っている。このような訓練を日本軍は中国であたりまえにやっていた。

安倍内閣はやっていることの意味が分かっているのだろうか。3歳児から日の丸・君が代に親しみさせ、愛国心を涵養させる。小学校では教育勅語でイザとなったら国のために死ぬのがスゴイと教え、中学校になると人殺しの技術である銃剣術を教える。

私の父が受けた教育と同じことをしようとしている。この行き着く先は日本国の崩壊だろうか、いや先に崩壊するのは内閣だろう。

産経新聞に樋口季一郎の記事

3月25日(土)産経新聞の淡路欄に樋口季一郎の記事が載っています。

数日前に産経新聞洲本支局の中野さんから電話があり,樋口の写真がないかとのことで、来訪されました。伊弉諾神宮の宮司さんが連載記事を持っており,樋口のことを書くので、写真を貸してほしいとのこと、パソコンに入れてあった何枚かを見てもらって、新聞に載ったのがこの写真です。

中野さんは前もって私のこのブログを見ていたらしく、父のことやら、樋口のことなどいろいろ、話をしました。

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私は最近、樋口の礼賛記事には、ステレオタイプのものが多く、食傷ぎみで、率直に苦言を呈しました。昨年、孫の樋口隆一さんが来島したおりも、申し上げたのですが、ユダヤ人を救出した数字が2万人というのは、間違いであり、誇大な数字の一人歩きはかえって事件の信ぴょう性に疑問を持たれ、なにより樋口本人の名誉を傷つけることになると。

一時間余り、波乱万丈の父の話など織り交ぜて歓談しました。シュムシュ島の戦いで北海道占領をまぬがれた。などの話は俗論であり私は明確に理由を説明して否定しましたが、なかなか理解が得られないようで、まあ産経さんならしゃないねえ、と私も記事にはこだわりません。宮司さんがなにを書こうと言論の自由で、記事の編集権は産経にあるし、私が文句をつける筋合いはありませんが、明らかな間違いの「ユダヤ人救出2万人説」が書かれていないのが何よりでした・・・

中野さんもおっしゃっていましたが、「野口英世なども教科書に書かれていることと、実際の人物はまるで違うらしい」と、なかなか真実というのはわからないものですね。樋口の全体像についてはずっと思案中で、将軍の立場からではなく一兵士の父の立場からなど、いろいろの角度から書いていきたいと思います。

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