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2017年10月

内藤いづみさんの講演会に行ってきました

「産声を上げるとき息をひきとるとき」

10月9日(月)ソーシャルデザインセンター淡路(SODA)設立6周年記念に開かれた、上記の題名の甲府市在住の内科医内藤いづみさんの講演会に行きました。

内藤さんは末期がんや進行がんの人々を支える在宅ホスピスケアを30年以上されている内科医です。

感動的なお話をたくさんされたのですが、その一つにナチスの絶滅収容所を体験したフランクルの「夜と霧」のお話がありました。

絶望収容所

収容所から生還できた極少数の人たちは、共通の性格というか能力があった。それは仲間が次々とガス室に送られ、絶望の淵で生活を送る中でも、ちょっとした光景ーー沈む夕日を見て「美しい」と感じたり、収容所の片隅でふと咲かせる小さな花に心をとめる感性を持った人が生き残ったーー

私は「夜と霧」をもう30年くらい前に読んだことがある。今回内藤さんの講演を聞き、3年前に死んだ母のことが思い出された。

母は昭和20年8月15日、日本敗戦後ソ連軍にとらえられ、中国の朝鮮国境付近にある延吉収容所に入れられた。収容所で母たちは病気で倒れた兵士の看護にあたったが、満足な食事もなく、医薬品もなく、厳寒30度にもなる満州の厳しい冬将軍と伝染病の蔓延で、なすすべがないまま日本人兵士たちは倒れていった。

シラミの大移動

母は私が子供のころから、満州時代の話をよくしたが、定番のエピソードがあった。

捕虜収容所で毎日20人30人死んでゆく状況というのは、ナチスの絶滅収容所も変わりません。人間が死ぬことに、麻痺しなんの感動もなくなるようですが、それでも毎日死にゆく病人を看護していると「病人の中で明日死ぬ兵隊さんは必ずわかる」と母はいうのです。その話をしている母の表情は、子供の私でさえ、不謹慎とも思えるぐらい、いつも生き生き、ニコニコしているのです。

病人になっても、兵隊さんは着たきりスズメで不潔そのもの。シラミがいっぱい湧いている。それを退治する薬もない。

「それがある日突然、患者にシラミが一匹もいなくなるんよ!!」

その患者は翌日必ず冷たくなっているという。

「あれは不思議やったなあ。人間にとって嫌なシラミもこの世では共生していて、シラミに見放されると人間もお陀仏や」といつも笑い話で終わるのです。母が絶望収容所から生還できたのは、フランクルの話にも通じるユーモアを延吉で持ち続けたからだろうか。

内藤さんは、昨年亡くなった永六輔さんと長年交友があり、永さんから人間、笑うことの大切さを教えられたといいます。人間誰しも死ぬことは怖い。そんな終末期の患者を支えてきた内藤さんの話に時間を忘れて聞き入りました。

最後に小林啓子さんのミニコンサートで、喜納昌吉の「花」がうたわれた。

~泣きなさい 笑いなさい いつの日かいつの日か花を咲かそうよ~

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