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2022年9月

「一九四六」神戸展

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9月4日(日)、魯迅美術学院の王希奇教授の大作「一九四六」を見に行ってきました。5年ぶりぐらいに神戸に出たのですが、マスク、マスクの人波に圧倒されました。私は慢性鼻炎でショッピング以外、普段外を歩くときは、あまりマスクはしません。でも都会の大通りを、今マスクなしで歩くのは相当勇気がいりますね。暑くて息苦しいので時々鼻を出して、汗をふきふき、JR灘駅から坂道を歩いて原田の森ギャラリーまで約15分しんどかったです。

午後1時過ぎ会場に入ったのですが、広い会場で、30人ぐらい鑑賞していました。油絵ですが墨絵のような画調で縦3m横20mのキャンバスは、圧倒的で、77年前の現場にタイムスリップしたような、不思議な感覚になりました。

Img_20220904_130735 初めに目がいったのは、父親と思われる男性が赤ちゃんを抱いている場面です。そこだけスポットが当たっているようで女性子供が大勢描かれている中、男性でしかも30代ぐらいの若さに見えたのですが、心配そうに赤ちゃんを見ている。

1945年5月には満州の日本人男性は青年・壮年根こそぎに徴兵され、8月敗戦を迎える。翌年にはみんなシベリア行になっていた。私の父は22歳でソ連軍の捕虜になり無蓋列車でシベリア送りになるところを、脱走した。1946年1月頃のことで黒河あたりで逃げたようだ。厳寒の北満州を彷徨するうちに知人の中国人に助けられ、ソ連軍が接収する牡丹江の関東軍第八病院に入院できました。間もなくソ連軍が撤収し八路軍が入れ替わりに来て、治療を受けたわけですが、薬なんかほとんどなく、父は身長175㎝以上あるのに体重が35Kまで落ちていたそうです。

この話は父が亡くなる2か月ぐらい前、南あわじ病院で聞いた。その時、肺気腫で入院していたのですが、だんだん食も細り、体重が35キロぐらいになりいよいよだめかと、私も覚悟していたのですが、従兄が見舞いに来た時、昔話をし始めて、「八路軍の医者や看護婦は、薬がない中、野原に行ってタンポポの根とか、あといろいろな薬草をとってきて混ぜ合わせ、煎じて飲ませてくれた。それはすぐに効き目がなかったが、ひと月ふた月と経つうちにとうとう治してしまった。あれはやはり、伝統の技かなあ、彼らはよくやってくれた」と神妙な顔つきで話したのがおもい出されます。

 

Img_20220904_131201 もう一つ印象に残ったのが、病人を載せた台車を押しているように見える、看護師の人たちです。病院船に乗せるのでしょうか、おそらく病気や負傷した人も大勢いるのでしょう。とくに重い人はこのように台車に乗せられ故国に帰っていった。私の母は看護師でした。そのころもう八路軍に留用され手術隊で野戦を回っていたのかもしれません。

王教授がモチーフにした「小さな引揚者」Img_20220906_235109母親の遺骨を胸にいだく断髪の少女 逃げ出したときは 母親や親戚と一緒だった 途中で母親が倒れ 遺骨にしてくれた親戚も死んでしまった 昭和21年夏 奉天にて    昭和45年7月27日毎日新聞社発行「在外邦人引揚の記録」より

Img_20220904_131216王教授が描いた遺骨を抱いた少女

 

9月7日画像追加

 

 

 

 

 

 

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