日記・コラム・つぶやき

忠ならんと欲すれば孝ならず

孝ならんと欲すれば忠ならず

森友事件の件で、稲田防衛大臣が国会答弁で教育勅語の精神をを評価する発言を行った。戦前の大日本帝国を美化する人たちは、親孝行や兄弟仲良くするとか夫婦和合というのは良いことでその精神は学ぶべきということだと思います。私もというか現在の日本人でこれを否定する人はまれでしょう。儒教に影響された「特定三国・日中韓」の国民もこれを否定する人は少ないでしょう。

父が生前伯母たちと酒席でよく言っていたのは「忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならずなんてよう言うた、けど両立しない」ということです。稲田防衛大臣は「いいとこどりで」現実に合っていない妄想をしゃべっているに過ぎない。私の両親は戦前の教育で忠君愛国を徹底的に仕込まれそのおまけで「親孝行や兄弟仲よく、夫婦和合して」を教えられたのですが、最後は天皇陛下(忠君)のため死ぬのが最高の道徳だった。父はソ連軍の戦車に飛び込むはずだったし、母は青酸カリを飲んで息絶えるはずだっだ。そうなれば逆縁でこれほどの親不孝はなかった。孝行は忠君に従属されていた。

戦前修身の時間で楠木正成・正行親子の行動は「忠孝」を矛盾なく統一した理想として徹底的に国民に教え込まれたのは、教育勅語を実践するうえでの都合の良い神話だったからです。

父は「もう結果の出たことを蒸し返すのは時代錯誤」とよく言っていました。

時代錯誤の幼稚園や小学校でどんな人材が育つのでしょうか。こんなところで自分の子供をl教育したい親はいますか?

ただっきゃのおばちゃん

2月14日ただっきゃのおばちゃんこと、川原松恵さんが亡くなった。94歳とのこと。「ただっきゃ」とは阿万小学校の校門近くにある文房具店のことで、誰も本名の川原店とは呼ばず、「ただっきゃ」あるいは、たの濁点をとって「たたっきゃ」とも呼んでいる。

戦後、阿万小学校に在籍していた人は、この店で文房具を買い、学校に通った。駄菓子を買って食べ、ジュースを飲みながら、友達と店の前でおしゃべりをしながらすごす、社交場でもあった。お気に入りの雑誌の発売日を待ちかねて一日に何回も来たり、おばちゃんの目を気にしながら、立ち読みしたり、また「当てもん」に夢中になり、小遣いを使い果たし悔んだり、なにかと思いで深い店であった。

長女が小学校の時、私はPTAの役員をしたことがあり、年一回発行する、「心の広場」という雑誌の編集責任者だった。その本の企画で、ただっきゃのおばちゃんのインタビューを記事にした。一番聞きたかったことは奇妙な店の名前の由来である。

おばちゃんいわく、昭和元年に榎本ただきちという人が始めて、「ただっきゃん」という愛称が、いつの間にか、「ただっきゃ」というようになったそうである。

おばちゃんの、あんこ型の体格から発射される迫力あるおしゃべりで、圧倒された。「文房具屋なんかビンボウ具屋といわれるくらいもうからん」とか「今の子供は、お菓子を食べたあと散らかしまくって片づけん」とか「親も子供二人連れてきて50円しか使わん。こまかいでー」とか辛口の言葉がビシバシ飛んできた。

最後に店とは切っても切れない万引きの話になる。今も昔も万引きをする子はいるが、やったらすぐわかるのでそれとなしに諭す。「ボクなあ、そんなことしたら、おばちゃんずーっと覚えとるで、大きくなってもあんたのこと、そんな子やとおもうてしまうし、ボクかて心の中に傷をずーともっていかなあかんし」

また二人連れの女の子で先に帰った女の子が出て行ったあと品物がなくなっていたので連れの子に言うと「泣きながら金をもってきた」という。「おばちゃん誰にも言わんから気に知られんと」慰めたという。言葉はきついが、やはり子供相手で、商売にも親の気遣いが感じられた、ただっきゃのおばちゃん。ご冥福をお祈りいたします。

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寒行

1月21日は寒行です。寒行というのは、真言宗では金剛講で御詠歌を習っている方たちが毎年大寒の日に家内安全を願って、各家庭をまわって玄関先で御詠歌を詠います。本当は20日の大寒に行うんですが、毎月二十日に隣保(りんぽ)が集まる二十日講と重なるので21日が寒行になりました。

南あわじ市阿万上町・丸山隣保では、むかしむかしから・・・いつごろか知りませんが、この時期の風物詩になっています。

Dsc03008萬勝寺の副住職さんと一緒に詠う上町金剛講の方々、今年は女性の方ばかりですね。いつもは男性も交じっているのですが、今年は寒くて男性陣はダウンですか。

Dsc03013家内安全のお札です。今年一年の皆様のご多幸をお祈りします。

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お疲れ様です。

今年の初夢

日本の国宝級映画監督・山田洋次が中国を訪問し学生と交流

1月4日の人民網に山田洋次監督が中国を訪問、北京電影学院の学生と交流した記事が載っている。山田監督は満鉄技術者だった父のもとで少年時代を中国で過ごしている。1947年に日本に引き揚げたそうだが恐らく国共内戦が激しくなる直前の引き上げだと思われる。私の父はその時期日本に帰る直前にある人の身代わりになり、中国に残留することになる。父が帰国できたのは、それから6年後、1953年8月、家族4人で舞鶴に帰還した。

生前父は、わしの半生は小説が何十も書けるほど波乱万丈だったと言っていた。昭和13年7月14歳の時、満蒙開拓青少年義勇軍に志願して以来八路軍と戦い、関東軍ではソ連軍の対戦車の特攻要員となるも生き残り、シベリア抑留を途中脱走して逃れ、中国の新生人民解放軍では国共内戦を戦い抜く。最後は朝鮮戦争にも従軍した父の半生は確かに掛け値なしに波乱万丈そのものだった。来年1月は父の13回忌にあたります。ぜひそれまで「父の15年戦争・戦後編」を書きあげます。

そこで、山田洋次監督とスタッフの皆さん。もしこの拙ブログがお目に留まれば映画化をお考え下さい。きっと面白い映画が作れますよ。切にお願い申し上げます。

慰安婦少女の銅像(2)

それにしても、脳みその中が戦前の疑似イデオロギーで染まっている安倍政権が慰安婦問題で韓国と和解なんてできるわけがない。日本人で戦前の慰安婦制度を正確に理解している人はリベラル・進歩的・知識人を含めてほとんどいないのではないか。東コクバル元知事がテレビで「普通の売春婦でしょう」と平然と言っていたのを聞いたことがある。その程度の認識を持った者が知事になれる。敬愛する孫崎亭さんの言説を聞いていても腰が引けているように思う。

皇軍の慰安婦制度は盧溝橋事件以来増大する兵士の欲望を処理するため、遊郭制度を丸ごと軍隊に持ち込んだ。それで民族差別、軍の階級差別、女性差別が混然一体となって一番弱い植民地の少女にのしかかっていった。その残酷な事実を多くの日本人が理解するまで少女の銅像は日本人を見つめ続ける。

慰安婦少女の銅像

日本政府は1月6日、釜山の領事館前に設置された少女像の撤去要求とともに「韓日通貨スワップ交渉中断」「韓日ハイレベル経済協議の延期」「長嶺安政駐韓日本大使および釜山総領事の一時帰国」など4つの対応措置を明らかにした。

愚かな対応である。いたいけな少女達を幾十万と地獄に陥れた植民地支配の反省など微塵もない。

私はこの問題解決の秘策を日本政府に進ぜたい。銅像を設置した韓国の市民団体に領事館内に適当な場所を提供し移動を提案するのである。そして花を飾り、慰める。訪れる人にはいつでも開放をする。

慰安婦の問題は金では解決しない。国家の尊厳を盾に、撤去しても少女のまなざしは消えない。大事なのは汚名をかぶった彼女たちの名誉回復である。少女の銅像に寄り添うことでいつか和解の道も開けるだろう。

フクイチ凄まじい水蒸気爆発

今晩のフクイチはすさまじい水蒸気爆発を起こしています。

4号機側ライブカメラ

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4号機側ですがクレーンも何も、まったく見えません、明日もまた全国各地で湿度100%が続出しそうです。

cmk2wlさんのツイートによりますと、東電がこの水蒸気はトリチウムだと認めたそうです。中性子を出す核種が含まれる、この爆発に対してなぜ大手マスコミは報じないのでしょうか。

濃霧にまみれた「三途の川みんなで渡れば怖くない」

日本SOS

フクイチ地下は溶融デブリで煮えたぎっている

久しぶりに記事を書きます。

今日午後7時前、4号機側のフクイチ、ライブカメラを見ていたところ、

煌々と赤い炎が見え、最初小さな橙色だったのが、次第に大きく広がり、白色光になり一時間以上、続いていた。

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3月ごろフクイチのライブカメラを見ていて水蒸気が異様にもくもく立っている日が多いことに不思議を感じていた。しかし新聞やテレビなど大手マスコミは何も報道しない。

そんな中、飯山一郎氏のホームページを知った。フクイチが昨年12月ごろより再臨界をおこし、今年4月中ごろより中性子線を出す核種が観測され始めているという。今や溶融デブリは地下水や海水に接触し始め大規模な水蒸気爆発をおこし、放射性水蒸気が日本全国のみならず、北東アジアまでただよっている。日本はもはや致命的段階にさしかかっていると飯山氏は警告している。

母の一周忌

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3月1日、今日は母の命日です。2月23日に一周忌の法事をしました。うちは真言宗なので、忌日表があって一年間、結構することが多く仏事に疎い私は大変でした。
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涅槃というのが3月15日で、ようやく一年間の忌日がすみます。ほかの宗派はもっと簡単だと聞いていますが、真言宗はかなり厳格にやっているようです。

猿田彦神社

Dsc00865_2 こじんまりした猿田彦神社

  毎年元旦には丸山に上り行者堂にお参りをする。行者堂の隣には猿田彦神社という小さな祠(ほこら)がある。その名の通り三重県伊勢市にある猿田彦神社のコピーである、私の地元阿万上町には八坂神社があり、他にも近畿各地の有名寺社をもじった、神社や祠、石佛がうじゃうじゃある。この地では一時間もあれば歩いて有名寺社をいくつもお参りする気分になれる。
  今年は次女が大学受験なので特に念入りに、拝みました。高校の先生は大学受験で親にできることはお金を出すことだけだ、しっかり用意してくださいとPTAの総会でおっしゃいましたが、お金のない親は神頼みしかありません。

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